インスタントラーメンなど高級食で、古本屋で「食べれる野草」や「食べれる動物」を調べて自分で調達し雑草やカエルなどを食べていました。
まだ肌寒い夜でしたが、暖房など使えないので部屋の中では毛布に包まって生活していました。
生活には衣食住が必要とよく言いますが、その中で失うと苦しいものに順位をつけると
衣<住<食だと私は考えます。
訳あって全国各地を転々として生活していたのですが、ここ1年ほどは家賃2万円の家を借りて日雇いでなんとか生活していました。
ですが、10月頃から体調を崩しがちになってしまい思うように仕事が出来なくなりました。
この頃から、クレジットカードの現金化を使って生活費を作っていました。
12月になるとクレジットカードも止まってしまいました。
光熱費の請求は来るのですが、全て支払うお金がありませんので支払うものを選んでいました。
まず一番早く止められるのが電気だったので電気の支払いはなるべく優先していました。
1月になると、ガスが止められました。真冬だったのですが、カセットコンロでお湯を沸かしタオルを浸して体を拭く。残ったお湯で髪を洗う、という生活をしていました。
日雇い仕事が力仕事だったのでい、食事は1日2食でしたがしっかりと食べていました。
しかし2月になるとその食事も1食になり、食事の内容も酷い物でした。
インスタントラーメンなど高級食で、古本屋で「食べれる野草」や「食べれる動物」を調べて自分で調達し雑草やカエルなどを食べていました。
まだ肌寒い夜でしたが、暖房など使えないので部屋の中では毛布に包まって生活していました。
コロナウイルス
4月になるとコロナウイルスの影響で仕事が全く無くなり家を追い出されてしまいました。
キャリーバックに生活最低限の衣類を入れて、その他はリサイクルショップで売って手元に数万円の現金を準備しました。
最初のうちはネットカフェに居ましたが、ネットカフェもコロナウイルスの影響で閉店してしまい寝床も無くなりました。
初日は公園で寝床を確保しようとしたのですが、公園にも縄張りがあり私のような新参者が入る場所がありませんでした。
そこで選んだのがパチンコ屋の立体駐車場です。
車止めを枕に寝ようとしたのですが、虫が居るのか全身痒くなりとても寝ることが出来ません。仕方なく立体駐車場の屋外階段でキャリーバックを抱きかかえて眠りました。
翌日は寝床を探すために1日歩き回り、何とか人気のないトイレを見つけました。
ですが、トイレ内は悪臭が立ち込めていたのでトイレの屋上に段ボールを敷いて、大きめのタオルに包まって眠りました。
日雇いの仕事も見つからず、翌日から近くの公園で野草や昆虫を捕まえて生活を送っていました。体はトイレの水で洗っていましたが、ある日トイレの蛇口が無くなって水が使えなくなってからは夜中に公園の噴水等で体を洗いました。
この生活が6月くらいまでは続きました。
現在は生活支援金が入り、なんとか家を見つけて人間らしい生活をしていますが、今月中に新しい仕事を見つけなければまたあの生活に逆戻りです。